main_title.png(7306 byte)

ホーム > 中瀬の祭り > その二
♦♦  中瀬の祭り屋台誕生  ♦

「西中連」・「四塔連」屋台の製作

昭和51年、5月頃より会員が集り始めた。「御神興ではしょうがない、屋台を作ろう」老いも若きも子供も参加出来る祭りにするには、屋台が一番良いのではないかとの話にまとまった。
 しかし屋台を作るには金もかかる。しばらくの間は会員有志の手作り屋台でやろうということになったが、知識もないということで皆とまどっていた。

地元のモータースが軽四輪の車を提供してくれ又溶接屋さんが車を改造してくれた。設計も自分たちで行った。それから会員の皆が日曜日は朝から、平日も仕事が終わってから作業場に集り屋台作りが始まった。又、材木はこれも町内の材木店の提供等、皆が協力をし作業は順調に進んで行った。

それを見ていた四塔地区の人達(四区21班)の間でも屋台作りの話がまとまり、有志2人が主になって始まった。名前は『四塔連』。屋台作りが進むにつれて仲間が次第に増え、五区も二分した形で西中連と四塔連に加入し会員も増えてきた。

屋台の入魂・披露

昭和51年9月19日(日)中瀬小学校グラウンドにて、西中連、四塔連屋台の入魂神事が天神社・津島神社宮司により行われた。

 
2.jpg(398070 byte)
入魂式の様子 後に懐かしい校舎が見えます
dc111109.jpg(474761 byte) dc112008.jpg(816040 byte)
完成した「西中連」(左) 「四塔連」(右)の屋台
 

お囃子は?

屋台が出来てもお囃子がなければお祭りにならない。
 困っていたところ会員が道具を捜してきてくれた。天竜市日明という部落である。ここでは古くから祭りが行われていたが、集落が天竜川にできた船明ダムにより湖底に水没してしまった。そのような中で、会員の知り合いで日明出身の方が、大太鼓と小太鼓1個を保管していることを聞き、そこより借りることになった。
 しかし、屋台には3個の小太鼓を乗せる予定だったため、二個の不足分は町内の企業が快く寄附をしてくれることになり、大太鼓、小太鼓がようやく揃った。

 道具(大太鼓、小太鼓)が揃った。いよいよ練習開始。
 お囃子は会員が仕事上の知合いである天竜市二俣車道村瀬屋の若旦那にお願いし、指導に来てくれることになった。多少心得のある会員が村瀬屋さんから習い練習して覚え、それぞれが子供達に教えた。曲目は「チャンチャラおかし」「四丁目」「やなぎばやし」の3曲。

   

初の屋台引回し(昭和51年10月17日)

 

初めての屋台引回しとあって要領が分らない。他の地区に教えてもらうしかない。
 警察への道路使用許可の手続きなどは自動車関係の会員が行った。
 すべての準備が整い祭り当日を迎えた。今までの中瀬地区の祭典は宵祭りが主だったため、祭典の為に会社を休むなんて考えられなかった。
 屋台の出発は12時、それまでに会所、子供達への菓子・ジュース等の準備を終えなければならない。若連の人達は早朝7時頃より集りだし、やっと準備完了。予定通り12時出発。中瀬で最初の屋台曳き回しである。
小さな子供から年寄りまでが一緒になって楽しそうに出発した。

dc112010.jpg(792818 byte)
初めての天神社宮入

▲ ページのトップへ