◊由 緒◊
正徳年間(西暦1711)に近江(滋賀県) の多賀神社の祭神伊弉諾尊、伊弉册尊の二神を 勧請し、以後日少宮(ニノワカミヤ)と称し明治6年 に多賀大明神と改称するまで160年間「日少宮」と唱えられていた。 静岡県下における式内社は遠江国62社、 駿河国22社、伊豆国92社となっており、その内伊豆国の田方郡は24座の式内社が認められている。この中に上多賀の神社として白波之弥奈阿和命神社(シラナミノミナアワノミコトジンジャ)がある。これは日本神社の研究書として著名な大日本史神祇志、特選神名帳、伊豆国式社考略、南豆神祇志、豆州志稿、日本地理志稿、静岡県史の七書において上多賀の多賀神社であることを立証している。 かつて昔、白波之弥奈阿和命神社は通称「阿和神社」として、また多賀明神として縄文・弥生古墳時代の祭祀遺跡のある地「宮脇」の聖地に祭られ、古い伝承や神事があることなど多賀の氏神として尊崇されてきた−境内石神 追記:万寿4年(1027)6月、多賀神社再建の記録が残されている。また、文政12年(1829)棟札に古くの宮殿に「覆殿」「中殿(祝詞殿)」「拝殿」の再造ことが明記されていた。(静岡懸神社志原文)
神社入口 神号標「多賀神社」
一の鳥居 神額「多賀神社」
二の鳥居
境 内
社 殿
拝 殿
神額「多賀神社」
本 殿
社殿左の境内社
社殿右の境内社 左から 天神社、日月社、山神社、水神社、八幡社、稲荷社、金山社、三峯社
社殿前の狛犬
境内社の狛犬
磐座 千五百年以前頃の住民が神々の降臨を仰ぎ盛大に祭典を行った場所である現在の社殿を造営するに当り磐座に小詞を造り地主神の台座として保存してあった 昭和三十三年八月国学院大学教授大場磐雄博士沼津女子高校小野真一先生等の指導の下に当慮を発掘し其の出土品を研究調査した結果白銅鏡一面祭祀用青銅鏡五面有孔円盤勾玉其の他各種の出土品があった 祀用青銅鏡の発見は我が国で四番目だったと言われている依って之を記念する 多賀神社(境内案内板より)
左 バクチノキ 右 御神木のクスノキ
写真撮影:2020年6月20日