◊由 緒◊
仁徳天皐6年戊寅10月の創建と傳へ、延喜式神名帳所載の駿河國益頭郡飽波神社は是なるべし。類聚國史に孝徳天皇大化3年丁未春令阿倍大臣蒐葬河國益頭郡飽波山鳥獣、以千級算之、神官負幣出神館歎爲汚穢、列卒不○之絡告阿倍大臣故止之、其夜有小狐入阿倍之夢、贈兼金参百圓、?官奏之後永停神山之猟云.々とある。弘安4年奉幣使を立てさせられ、中古飽波神社川關大明神と称せしが、明治元年今の如く改めた。當社地は益津郡飽波郷なるを以て社號を飽波神社と称す、往古は境内廣潤にして社領も夥多ありしが永緑元亀の兵乱に社殿及び社記等悉く焼失し、又社領も失ひ頗る頽廃せしが正徳5年社殿を再築して今に至った。舊除地3石4斗を有し、明治6年3月郷社に列し、同40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口の神号標 「飽波神社」
一の鳥居(明神鳥居) 神額「式内 飽波神社」
二の鳥居
手水舎
拝 殿
神額 「延喜式内 飽波神社」
社務所
写真撮影:2006年7月27日