◊由 緒◊
社傳によれば孝昭天皇2年3月富士山中腹水精ケ岳に創建せられ、崇神天皇の時神地神戸を賜った。應神天皇武内宿禰に勅して本社を修造あらせられ、文武天皇大賓元年水精ケ岳より現地に奉遷し、延暦19年坂上田村麻呂勅を奉じて改修せられたという。かく朝廷の御尊崇篤きのみならず、武家も亦頗るこれを崇敬し北條・今川・武田・徳川の諸家何れも社殿造営の事あり、豊臣家は村山郷に於て神領75石を安堵した。徳川氏は94石の朱印を寄せ元禄10年徳川綱吉は社伝を造営した。この時本殿は間口7間奥行3間、幤殿は間口3間奥行2間、相殿は間口4間奥行5間にして結構壮麗なりしも寛永5年(?)の大震災にて頽廃した。舊朱印高216石2斗を有す、大正13年12月18日縣社に列し、翌14年1月16日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口 神号標 「富士根本宮 村山浅間神社」
一の鳥居(明神鳥居) 神額 「富士根本宮」
境 内
社務所
手水舎
大スギ(県天然記念物)
イチョウ(県天然記念物)
社 殿
拝 殿
神額 「富士根本宮」
本 殿
写真撮影:2011年2月24日