◊由 緒◊
社傳によれば古は富士山を御神体と仰ぎ奉りしが,孝霊天皇の御宇富士山噴火のため岳麓の州民四方に逃散し、國中久しく荒廃せしを垂仁天皇の御宇に至り、富士山足の地に浅間大神を鎮祭して、嶽神の璽を慰め奉りしに創るという。次で景行天皇の御宇、日本武曾駿河國にて賊徒の為に野火の災に遭ひ給ひし時、浅間の大神に祈念し迎火を.放ちて其の難を逃れさせ給ひしを以て山宮の地に大神を祭り奉つた。文徳天皇仁寿3年7月甲午以に駿河國浅間神預於名神、壬寅特加駿河國浅聞大神従三位。清和天皇貞観元年正月27日甲中奉授駿河國従三位浅間神正三位。これより先、平城天皇の大同元年征夷大將軍坂上田村麻呂勅を奉じて山宮の地より今の大宮の神立山の麓湧玉池畔に遷し奉り、両来現時に至るまで1200有余年神威弥々高く、明治4年5月14日國幣中社に、同29年7月8日官幣大社に列し、今や全國一1300餘の浅間神社の総本社としていとも古き歴史と最高の社格とを有している。霊峰富士山頂は大古より浅間大社の鎮り給ふ所、殊にその内院は大社のまします幽宮として古来富士登拝者の最も曾崇する所である。頂上奥宮の創建は古く、近衛天皇の御宇に?末代大日堂を建立せるに始り、東北頂上には久須志神社あり、共に当神社の頂上奥宮として毎年夏期7月11日より8月末に至る50日間を開山期とし、登拝者年を逐うて増加し、紀元2600年に当る昭和15年では30萬人に達したという。因に8合目以上は奥宮境内飾域である。(静岡懸神社志原文)
せせらぎ広場 大鳥居
特別天然記念物 湧玉池
二の鳥居(明神鳥居) 神号標 「富士山本宮浅間大社」
参 道
三の鳥居
鏡池にかかる太鼓橋
鉾立石
楼 門
社 殿
拝 殿
本 殿
社務所
手水舎
七之宮浅間神社
天神社
東鳥居 と 神幸橋
写真撮影:2011年3月14日