◊由 緒◊
社傳に日本武尊東夷征伐の時当國に至り、神紙に祈願し給ひ奇瑞に由りて、二岡に度々杵尊、四岡に大雷神を御親祭ありて二所大神と號す。その後國司に命じ一岡に木花開耶姫命、三岡に伊弊冊曾、五岡に天忍穂耳尊、六岡に保食命、七岡に火産霊命"を造立し、中古に今のニノ岡の地に社殿を建築し7社の神を合祭し二岡七所大権現と號すとある。明治8年2月25日二岡七社神社と改称し、同日郷社に列した。同40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定され、同年12月3日更に現社名に改称した。又本社は古来御厨百余箇村の総鎮守と称し、寛永28年大森民部少輔より社領寄附証文を寄せられ地頭領主等の崇敬篤く、旧社領地8反3畝1歩、山林130余町の除地を有した。尚本社は古くより神酒醸造を嘉例としているので明治31年1月10日無税神酒醸造の許可を得た。(静岡懸神社志原文)
二岡神社の社叢(御殿場市指定文化財)
ここ二岡神社は北駿地方では最も歴史ある神社のうちのひとつです。
当社には応永29年(1422)大森道光が寄進した北駿で一番古い石灯籠があります。
境内には、樹齢数百年、幹周り3メートル以上もあるスギの大木が林立しています。黒々とした枝葉は大空を覆い、霊気の漂う感があり、近隣にはその例を見ない景観です。
この社叢は天然記念物として大変価値の高いもので、森の中にはコケ類を始め、数々の陰地植物を観ることができます。
平成21年3月 御殿場市教育委員会社会教育課
二岡神社の灯籠(御殿場市指定文化財)
二岡神社の起源は日本武尊の東夷征討にまでさかのぼると伝えられ、鎌倉時代には将軍家の崇敬を集めるようになり、この地方の領主であった大森・北条・大久保氏等の祈願所にもなっていました。この灯籠は室町時代、応永29年(1422)当時の領主大森道光が寄進したもので、この地方では一番古いものです。
灯籠の柱の部分には「奉施入石灯台大橿那沙弥道光応永29年壬寅年卯月5日」と刻まれています。
平成9年9月 御殿場市教育委員会
写真撮影:2020年3月16日