◊由 緒◊
延喜式神名帳所載麁玉郡4座の内多賀神社は即ち当社なりと定む。中昔より高根神社と称ふ。この故は小野郷(今は尾野)より仰ぎ見る所の高根山なるを以て高根神社と改称せしものなるべし言ふ。遠江風土記伝亦高根山を式社とを定めて「多賀村屋敷より此山に移れりと日地ふ」とある。明治12年8月26日村社に列せられ、明治40年9月13日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
金刀比羅神社の脇をとおり神社に向かう道 階段と山道の奥に境内がある
参 道
境 内
市内を見渡すことができる
社 殿
拝 殿 約500年前の足利時代に建てられたもの
神額 「式内 高根神社」
拝殿の裏は岩が迫っている
本殿はこの岩を登った高い所に鎮座する
右が高根神社の本殿 左が岩本神社
参道の途中からまっすぐ登ると高根神社、左に下ると蚕養神社
岩の隙間に鎮座する 蚕養神社
写真撮影:2008年7月5日・2015年6月14日