◊由 緒◊
往古より秋葉山上に鎮座(或いは和同2年なりとも言う)せられ、鎮火の神域は火防の神として夙に人口に遍く遠近の崇敬殊に著しい。三代寶録巻25貞観16年5月10日丁酉の條に「授遠江國正六位上岐氣保神從五位下」と見える即ち當社と定む。遠江國風土記傳によれば岐氣は山香郡の郷名なり、保は火なり、此山岐氣の保榊社の地に當る、と考証してゐる。中古より神佛混淆の結果秋葉寺創立せられ、一山の主権叉循侶の支配下に属して年序を経過したが、慶応三年神佛分離の命ぜらるるや佛具佛躰等は周智郡可睡齋に移され往古の姿に復復帰した。貞観以後陞叙の事史に見えずと雖も、掛川史稿によれば、本社前鳥居額正一位秋葉大権現後西天皇宸筆とあるを見れば當時既に正一位の神階ありしものなるべし。其後慶応3年12月27日に至り改めて正一位を授けられ大権現を麿廃秋葉神社と称せしめられた。明治6年4月18日縣社に列せられ、明治40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定せらる。現在講社の数二萬有除の多きに達し、崇敬者は各地に亘りて其数百萬を下らす御神徳天下にあまねしと言ふべきである。
神社入口の大鳥居(明神鳥居)
神額 「正一位秋葉神社」
オオカミ型の狛犬
神門に向かう参道
西のカドモリ(門構えに昏)の神門
手水舎
社務所
境 内
神楽殿
社 殿
大注連縄
天狗の皿投げ
神門 (境内に残る唯一江戸時代の建築)
神額 「火防秋葉神社」
諏訪三郎の作と伝えられる彫刻
写真撮影:2008年6月21日