◊由 緒◊
當社は明治40年9月10日郷社神明宮を村社八幡宮の境内に移転し、之へ村社八幡宮、村社俊光将軍社、村社白髭社、村社天神社、村社金山社、村社稲荷神社、村社白山社、村社山神社、無格社大頭龍社、無格社山紳杜、無格社白山社を合祀し、郷社有玉神社と改称す。明治41年9月30日神饌幣帛料供進社吐に指定せらる。舊神明宮は創立年代詳ならす、元禄16年9月再建の棟札あり、徳川家朱印高6石を寄す。社伝によれば延喜式長上那五座の内朝日波多加神社は即ち当社にて社地畑屋は波多加の轉訛なりと言ふ。明治6年3月郷社に列せらる。舊村社八幡宮は創立年代詳ならすと雖も、天正10年11月再建あり、朱印高12石を有す。社伝に徳川家康神馬奉献ありし古事に始まりて今に流鏑馬の神事行はる。舊俊光将軍社は創立年代詳ならず、宝暦7年正月再建あり。田村麿将軍往古軍功を揚げられし地に勧請せるものと伝ふ。濱松城主の崇敬篤く材木の寄附等度々行はる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神号標 「有玉神社」 と 鳥居(明神鳥居)
境 内
社 殿
拝 殿
本 殿
手水舎
社務所
御神木
本殿脇の燈籠
写真撮影:2015年3月14日