◊由 緒◊
創立年代詳ならず。久能越中守永正の頃濱松城内に建立社領を献ずと伝ふ。永緑11年徳川家康濱松城主となり、天正7年4月7日秀忠城内にて誕生したれば産神として崇敬厚く、翌天正8年7月7日常寒山即ち現社地に奉遷しまつる、舊社跡には松の樹を植ゑ五社松と言ふ。慶長15年社領百石を寄進し、大阪出陣に際し社参あり、帰陣の後社殿建立を仰出し、時の濱松城主安藤封馬守奉行となり、元和元年霜月吉詳日上棟。然るに寛永11年家光上洛の節社参あり、社領200石を加増し都合300石を寄進され、社殿造営仰付けられ、時の城主高力摂津守普請奉行となリ工事を営む。寛永18年松平和泉守乗壽城主の時に至り竣工す。現存社殿これである。爾来徳川家を始め代々の城主の崇敬をあつめ、明治5年5月22日縣社に列せられ、明治40年4月4日神饌幣帛料供進社に指定さる。社殿は大正3年特別保護建造物に指定され、昭和11年8月より13年12月に亘り修理をなし益々尊厳を加へた。(静岡懸神社志原文)
神社入口 神号標 「五社神社、諏訪神社」 と 鳥居(明神鳥居)
神額 「五社神社、諏訪神社」
社殿に上がる階段と手水舎
社 殿
五宝稲荷社
社務所
写真撮影:2008年6月27日