◊由 緒◊
社傳によると、当國海辺蛭田郷許部里(今小沢渡)に鎮座しあり、祭神玉依比賣命は難海鎮静の爲に勧請した。文徳天皇仁壽7年從五位下、位田30束を賜ひ、延喜式神名帳に所載の遠江國敷知郡許部神社是なりと言ふ。天慶元年ここらよし神意に依って曳馬の里に遷座す、其時白狐老翁の姿に化し松の小木を捧げ先導して曳馬の里に至り、爰等宜と植て去る。よって其地に鎮座し給ふ。彼の松の縁故に因て里の名を濱松と呼ぶ。永承6年八幡太郎義家東國へ下向の時社辺の楠の樹の下に旗を建て八幡二柱の神を勧請し歌一首を奉る。永享4年足利義ヘ駿河國へ下向の時彼の松繁茂し状臥龍の如し即ち其下に酒燕をなし今様を謡ふ。其拍子に松風の菅颯々たりしに依り里人此松を颯々の松と言ふ。徳川家康其祖先勧請の故を以て篤く崇敬し再々奉納の物あり。社領は往古より多少の沿革あつたが慶長8年徳川家康朱印高50石を寄附し以って明治に至る。明治6年3月郷社に列せられ、明治40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
境 内
雲立のクス
手水舎
拝 殿
本 殿
境内社
写真撮影:2006年2月18日