◊由 緒◊
社傳によれば本社の勧請は應神天皇十一年、脇宮の勧請は允恭天皇御宇なりと言ひ、社號は勧請の當初に於ては八ヶ前の地名に因って蜂ケ前と称し、允恭天皇以降は鳥飼神社叉は羽鳥大明神と称へ、延長5年更に蜂前神社と改め古名に復したと言ふ。三代寶録貞観8年12月26日の條に「遠江國鳥飼神に從五位下を授く」とある、則ち是なりと定む。舊記によれば、應神天皇十一年庚子3月8日八田毛止恵なる者勅を奉じ、遠江國へ下向し、八田45町(祝田の古名)廣田70町(刑部の古名)岩瀬8町3反(瀬戸の古名)合せて123町歩餘りを開墾し本社を八ヶ前に勧請し蜂前神社と齋き奉り、子孫代々祝部として奉仕した。依て八田、上刑部、下刑部、岩瀬、石岡、五日市場、廣岡7ヶ村は古來よりこの神社を大氏神と崇め奉ると言ふ。今川家、井伊家の崇敬あり社領を寄せられ、徳川家康亦伊奈忠次をして?領5石を寄進す。次いでこれを朱印に改めて以つて明治に至る。明治41年1月12日神饌幣帛料供進社に指定せられ、大正12年2月12日郷社に昇格、大正12年2月22日郷社としての供進指定社と定めらる。
神社入口
社号標 「式内 蜂前神社」
鳥居(明神鳥居)
参 道
石段の上に広がる境内
境内と社殿
拝 殿
手水舎
写真撮影:2008年7月11日