◊由 緒◊
御祭神宗良親王は、後醍醐天皇第四皇子(宮内庁皇統 譜による)であらせられ、一品中務卿征東将軍としてこの地井伊谷を本拠とし五十余年の間御活躍になられました。その足跡は遠江、駿河、三河、甲斐、信濃、越後、越中、上野、美濃等の各地にわたり、信濃宮、上野宮、越中宮と世の人々から尊崇せられ、僻遠山間の地にあって困難辛苦を克服して活躍せられましたが、元中二年八月十日御年七十三才を以てこの地で薨去せられました。その折奥山方広寺開山無文禅師(御祭神の弟宮)が 導師を奉仕せられ、この地に埋葬され冷湛寺殿と尊称 し奉りました。親王は特に和歌の道に秀で、その御生涯の殆どを戦陣の中で過されたにも関らず、家集「李花集」を遺され、準勅選「新 葉和歌集」の編纂など文化の面でも御功績を遺されました。明治元年明治天皇の勅旨として創立せられ、明治五年二月十二日御鎮座、同六年六月九日勅裁を以て官幣中社に列せられました。
境内の入り口
社号標 「官幣中社 井伊谷宮」
一の鳥居(伊勢鳥居 ?)
二の鳥居に続く参道
絵馬資料館
手水舎
二の鳥居と神門
神門の神額 「井伊谷宮」
拝殿
奥に本殿が見える
本殿
摂社・井伊社
社務所
御神木
慈母観音石
水原秋桜子句碑
写真撮影:2006年8月1日