◊由 緒◊
現賀久留神社は最近まで神ケ谷八幡宮と通称し来た神社である。遠江國風土記伝によると寛政の頃には御祭神は玉依姫命、息長帯姫命、品陀和氣命、大雀命にて、大人見の八幡、入野の八幡、志都呂の八幡、篠原の若宮の4所に各幣帛を分つて、別社と称した。社北に加久禮池、加久禮川あり、式内賀久留神社これなりと定む。清和天皇貞観4年5月朔日賀久留の神は從五位下の神階を授けられ、延喜式神明帳に記載せられて官社に列せらる。徳川家康社領を寄附し、徳川家光に至りて朱印高10石を寄せられ以って明治に至る。吉田藩主松平伊豆守山林を寄附せられ濱松藩主亦奉幣崇敬あり。明治6年3月郷社に列せられ、明治40年1月12目神饌幣帛料供進社に指定せらる、昭和4年7月4日縣社に昇格、同年10月9日縣社としての供進指定社に定めらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神号標 「式内 懸社 賀久留神社」
神 門
手水舎
境 内
神額 「賀久留神社」
社 殿
宝物庫
社務所
写真撮影:2007年6月7日