◊由 緒◊
創立の年月等詳でないが、延喜神名帳長上郡5座の内子倉神社は当社であると定む。特選神名牒によると今按ずるに注進状に長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社と云へど、風土記伝にこの地は長下郡なるべく思はるれば地理違へりと言ふは信じがたし、叉豊田郡大海村小倉神社とも言へども風土記伝に今富田村子安明神即ち本社にして大海村は之より移し、飯田村も是より移せし社なりと云へば今はこの説によりて記せり、尚よく考ふべしとある。姑く掲げて後考にまつ。(静岡県神社志原文)
神社入口の神号標 「子安神社」
参 道
鳥居(明神鳥居)
かつては鳥居の神額であったもの
境 内
手水舎
社 殿
拝 殿
神額 「子安神社」
本 殿
子安観音
社務所
写真撮影:2015年3月14日