◊由 緒◊
創立の年月詳ならず、貞治四年再建すと言ふ。当社は式内濱名郡五座の内彌和山神社即ちこれなりと伝ふ遠江國風土記伝によれば、只木村神明社を彌和と號す。俗に彌也山と日ふ檜山なりと、叉英多神社の條に、三ケ日村神明社なり、神主縣左京日ふ、??記には三輪の神と書くと、然らば則彌和と英多と二神を同地に齋くか、云々と言って社地を定めてゐる。特選神名帳によると、彌和山の名によって祭神を大物主神と定めてゐる。今明細帳及び調査票書出しによる。而して式内彌和山神社についてば尚異説あるも姑く掲げて後考にまつ。明治12年9月10日村社に列せられ、明治41年神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
階段を上り、さらに進むと社殿が見えてきます
境 内
手水舎
写真撮影:2011年1月9日