◊由 緒◊
当二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱 を御祭神としております。往古は三宅神社と 称し奉り、天日槍尊の四世で、井伊郷の荘司 三宅氏の始祖 多道間守の尊霊を奉祀した 延喜式の式内社に列せられた霊社であります。第十一代垂仁天皇の勅諚に応え常世の国から 我国へ橘を将来したのがこの祖神多道間守で当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴する井桁と、当三宅神社の橘とを家紋と致しました。元中二年八月十日(西暦一三八五年)後醍醐天皇の皇子宗良親王が井伊城に薨ぜられるや九月南帝の勅使中院為久郷、中院少将定平朝臣下向、御連枝の方廣寺開山、圓明大師を御導師として葬送の御儀を執行い、当三宅神社に尊霊を合祀し奉り、慈来二柱の神霊を祭祀するため二宮神社と改称し奉りました。(境内案内板より)
二の鳥居(靖国鳥居)
階段の上の社殿
社 殿
拝 殿
神額 「二宮神社」
社務所
境内社
御神木
足跡石(?)
手水舎
写真撮影:2010年12月26日