◊由 緒◊
創立年代詳ならず。社伝によれば丈武天皇慶雲2年の創建にして延喜式神名帳敷智郡6座の内息神社は即ち当社である。中古村民山城伏見の稻荷大神を信仰し勧請し来りて合祀し、以来息神社の社號を改めて米大明神と稲すと言ふ。然して由来息神社米大明神と一社爾號を稽へ来ると。諸文献亦いづれも宇布見鎮座米大明神は「ソク社」と称して、式社息神社と定めて言へば社伝によりて宜敷かるべし。文亀元年5月7日地頭中村新右衛門正實本殿を再建し次いで天正14年3月徳川家康更に社殿を造営せらる。江戸幕府時代に於ては朱印高10石の寄進を受け、寛政7年には神祇伯王殿家より正一位の神璽を受け明治に至った。明治6年3月郷社に列せられ、明治28年5月内務大臣の許可を得て旧称息神社に復帰し、明治40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定さる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
鳥居 (明神鳥居)
石の神号標 「息神社」
四基並ぶ石灯籠
手水舎
狛犬
拝殿
神額 「式内 息神社」
本殿
拝殿と本殿の間の鳥居
静岡県指定文化財が保管されている宝物庫
宝物庫前の燈籠
写真撮影:2007年5月30日