◊由 緒◊
延喜式内神名帳に記載の遠江国引佐郡乎豆神社是なり旧神領、朱印高15石寄附せらる、明治6年3月村社に、大正11年8月3日郷社に列す合祀神社11社は明治7年5月、1社は昭和8年10月何れも当社に合祀。
古老の口伝に依れば往古は社領5町8反歩なりしと云う。坪附古文書あり、引佐郡気賀広岡鎮座神明宮、浜名郡五島村鎮座神明宮は当神社の御分霊なりとし、古老の言伝えなり。古来の伝説を聞に往古頗大社にして一の鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西宮鳥居等の建築有りし由、昔文化9申年6月5日の大洪水に依り伝来の旧記悉く流出して見るべきもの不教といえども当神社は延喜式神名帳記載の神祇にして其の鎮座する郷は元刑部の郷と称し上古より地方崇敬の中心たるを知さる。
伝え日く往古は社頭高5町8反歩を有し従って社殿の設備又拡大なりとし降って徳川幕府に至り御朱15石を拝領せり其の文言に日く、遠江国引佐郡神明社領同郡刑部の内15石事任先規寄附の暈金可収納と是れ徳川氏に至りても尚上古の先規を重んじ崇敬殊に厚くし証票にして刑部村にて神地を寄せらるるにも不拘引佐郡神明領と冠し一村落の小社に非ざる事明にして明治維新の際に至る迄格別の礼を以て取扱われたる次第にして当郡内の崇敬厚かりしは論なき所なり。
神社入口 社号標には 「式内 乎豆神社」
鳥居(靖国鳥居)
社頭案内碑
参 道
社務所と手水舎
境 内
社 殿
拝 殿
神額 「延喜式内社 乎豆神社」
境内社
写真撮影:2008年7月11日