◊由 緒◊
遠江國風土記伝、式内大みか神社の條に、三嶽山権現社の山中を多知須と號す、是すなはち大みかの奮地か人跡を禁ず、里人日ふ、此山は昔時大蛇の住所なり、多知須に蛇骨ありと、三嶽山亦の名は蛇王山(正保の國帳に見ゆ)山の高さ18町、山足に瀧澤村(太都佐と訓ず)あり大日堂を齋く、蓋し大??神社廃れて堂となるか、叉瀧澤村に窟あり、容易に入ることを得ず、尋常の地と異る、按ずるに大??は多都佐と訓じ、又多知須は龍神の巣所を謂ふか、三國志に三嶽山城主永正11年3月10日敗軍すと、按ずるに是より以来社荒廃するか、とあり、寛政の頃は社なくて大日堂があり、安樂寺の管するところであった。朱印地3石,現在寺叉廃れてなく、神社復舊す。即ち四所神社は式内大??神社の中古大日堂となったものが更に復舊したものと社伝するのである。(静岡懸神社志原文)
一番大きな建物は拝殿、一番高いところが本殿
境 内
社 殿
拝 殿
一番高いところが本殿
境内社 若宮神社 と 津島神社
写真撮影:2011年1月5日