◊由 緒◊
延喜式内社で引佐郡六座の一である。人皇58代光孝天皇の御宇仁和3年建宮ありし宮なりと伝ふ。鎮座地都田は伊勢神宮領即ち御厨として発達せる土地であるから祭神に伊勢神宮を勧請奉齋したのは故ありと言ふ事が出来る。元内宮は上社と称し上都田須倍上の山に鎮座し、今猶其社地と称する處を遺し、外宮は下社と称し下都田中津に鎮座し、これ亦田中に其社祉と称する處を遺してゐる。中古現社地に移り神明宮或は須倍神社と言ふ。遠江國風土記伝によれば都田郷の神明宮2社なり。2社の御戸代の高7石。須倍は地名なり、摂社及び社?、須倍の神戸等の除地合高40石1斗5升1合、是昔御厨の遺跡なり。上都田の神戸51所、下都田の神戸24所、祭日は9月16日、東鑑に日ふ「寿永3年3月14日、遠江國内都田村の御厨元の如し神宮使より沙汰致すべき由定め下さる」と又須部の百姓17戸は藷貢除免の宅地なり、昔時神明の社職と知るべし」とある。慶長6年2月徳川家康伊奈忠次をして社領として内宮へ4石外宮へ3石を黒印を以って寄進され、次いで慶安元年10月24日徳川家光これを朱印に改め寄附された。明治6年3月郷社に列せられ、明治7年5月24日村内神社69社を外宮に合祀し、明治40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定さる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神明橋
二の鳥居(白木鳥居)
参 道
境 内
社 殿
拝 殿
拝殿の中 神額 「式内 須部神社」
本 殿
境内社
社務所
手水舎
奉納舞台
写真撮影:2015年3月21日