◊由 緒◊
當社式内小社芽原川内神社に推當す。和銅2年此山に鎖座し給ひ、清和天皇貞観2年戊寅年正月27日正五位下より從四位下に陞叙あり、同十六癸丑年2月23日從四位上に叙せらる。元正天皇の養老元年に勅願所となされ宸翰勅額を賜はる。清和天皇の貞観中二度の勅使あり、保元年中諸社再興し、守屋兵部大輔、熊野大神を本社に遷し奉る。永正10年6月7日奥山大膳亮造螢を爲す。元亀3年徳川家康濱松在城の砌武運長久の所願をなし、大勝利により天正元年正月17日社参、御祈願所の沙汰ありて劒二振を奉納せられ今尚神庫に存す。大神は専ら邪氣退散武運長久、五穀成就、養鴛繁榮、魚漁満足、安産守護の御霊験あるを以て遠近の信者登拝する者甚多し。明治5年5月山住神社と改称縣社に列せられ、明治40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定せらる。古老言ふ。舊社は勝坂にあり、後門桁に移り、叉芽原に遷ると。芽原は今の社地である。
神社の入口 社号標 「大日本総道守 山住神社」 と 鳥居(明神鳥居)
狼型の狛犬
神 門
神門の神額 「山住神社」
手水舎
社殿前の狛犬
社 殿
拝 殿
本 殿
鵺退治の彫刻
2本の御神木(杉) 静岡県指定天然記念物
写真撮影:2006年5月5日