◊由 緒◊
創立年月詳ならずと雖も、仁和年間宇佐八幡宮神霊を勧請すと傳ふ。古來武將の崇敬篤く、二俣城主の信仰最も深く再度社殿の造営あり、應永31年由機良親王(叉宗良親王御子尹良親王とも傳ふ)諸卒を率ゐて三河國に赴き給ふ時鎗一筋當社に奉納ありしと言ひ傳ふ。今に鎗存す、至徳3年正月社殿焼失、大永8年11月の棟札に願主二俣城主近江守藤原昌長造永とあり、享禄より天文弘治年間に松井左衛門尉宗信の造永あり、叉天正年間二俣城主岡崎三郎信康の螢繕あり、徳川家康武田信玄と争覇の際屡々霊験ありしにより軍扇一本を奉納す、今に在る、慶安2年徳川家光より朱印高10石の寄進あり抖に社中山林神主屋敷を下賜せられ以て明治に及ぶ。明治6年3月郷社に列せられ、明治39年4月28日神饌幣帛料供進社に指定せらる。往昔八幡宮と称へたが明治7年八幡神社と改む、合祀社は元本村字モリに鎭座ありしを明治7年4月合祀せるものである。
神号標 「郷社 八幡神社」 と 境内に続く階段
山の中腹に建つ鳥居 「明神鳥居」
下の県道から境内までは長く急な階段を登らなければならない
眼下には天竜川と赤い「横山橋」が見える
境 内
拝 殿
社務所
時の流れを感じさせる石灯籠
手水舎
写真撮影:2008年7月13日