◊由 緒◊
三代寶録元慶2年9月16日の條に遠江國赤尾神澁垂神に從五位下を授くとあり、國史現在社として由緒古し。中古神社廃れて佛堂盛となり赤尾山長樂寺と號し、學頭大乗院僧坊善養坊あり朱印地総て15石を賜はる眞言の寺院であった。堂宇荘嚴にして大塔もあつたがこれ亦早く廃る。塔祉と言ふ地名残る。案ずるに鎮守神として寺内にありて専ら僧侶の支配を受けたか。明治維新に至り2年11月神祇官より許可を得て藤原延雄還俗して神職となり赤尾澁垂神社神主を勤め。社頭再び舊に復し、明治5年2月郷社に列せられ、次いで大正4年11月5日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神号標 「郷社 赤尾澁垂神社・郡部神社」
手水舎
礎国神社(英霊社)
白山神社
御井・御池
鳥居(靖国鳥居) 社殿に続く参道
境 内
社殿と社務所
拝 殿
神額 「澁垂神社」
社務所
御神木
写真撮影:2008年7月21日