◊由 緒◊
文徳天皇嘉祥3年7月11日遠江國鹿苑神に從五位下、清和天皇貞観2年正月27日遠江國從五位下鹿苑神に從四位下を授けらるとある。式内鹿苑神社即ちこの神なりと伝ふ。往古遠江國脂を貢進し奉る。即ち乾鹿の肉脂を製する爲鹿を駆入し苑に在らせ給ひし社なるにより、鹿苑神社と称し奉る。遠江風土記伝によれば、「山香郡與理郷に正國六音大菩薩社と言ふ社あり、社頭大にして除地高4斗を有す、正國は小國、六音は鹿苑なり、式内小國神社、鹿苑神社の??跡か、元慶5年磐田郡を割いて山香郡を置く、此時鹿苑社を以て磐田國府に移すか、今の人二之宮村の社を称して鹿苑神社と謂ふ。昔與理郷は脂を貢す故鹿苑の名あり」と由縁あるものの如くである。元二の宮と称し、一の宮たる小國神社と並立し、社領300石を有し後現在地に移りたりと。中古社頭廃れて、古記録等散失し由緒を知るに由なし、元和9年2月再建の棟札を有す。慶安元年朱印高23石を寄せられ、明治6年3月郷社に列す。明治40年3月15日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口 一の鳥居(明神鳥居) 神号標 「鹿苑神社」
神額 「鹿苑神社」
二の鳥居 と 境内
手水舎
社 殿
拝 殿
末 社
宝物庫
写真撮影:2008年7月24日