◊由 緒◊
人皇50代桓武天皇の御宇坂上田村麿東夷征伐の砌、富士淺間の神力に依り東夷を平げ得たりとし其神恩に報い奉らん爲淺間の御璽を遷され山名の神社斎き奉り、後富士浅間宮と称し奉る、坂上田村麿より大刀一口を奉納し、叉大同年間社殿を造営寄進せらると伝ふ。天正18年地頭本間源三郎御社殿を造営し奉り、寛永15年北條出羽守社殿を再興し奉る。慶安2年8月徳川家光より高16石9斗の朱印を寄附せられて明治に至る。明治12年7月24日郷社に列せられ、明治40年9月13日神饌幣帛料供進社に指定さる。(静岡懸神社志原文)
社号標 「郷社 白羽神社」
鳥居 (明神鳥居)
境 内
社 殿
拝 殿
本 殿
手水舎
写真撮影:2008年7月21日