◊由 緒◊
敏達天皇四年乙来六月の創建にして、式内磐田郡十四座の内田中神社はこれなりと定む。元は府八幡宮の摂社で、舊社地は今の地から東南十町ばかりの處にあり、俗に田中の森と言ふて居た。叉一本松とも呼び、今に老松が孤立してゐる。遠江國風土記伝によると「中泉御殿場にあり、郷人手長社と日ふ、同所田中に手長塚あり」とあり。叉同書に「手長社式内田中神社の舊跡か」とあつて、式内社であることに推定する。徳川家康此地に狩し御殿を造り、近くて憧れありとて現地に移すと言ひ、叉享保十年九月九日水害を逃るる爲社地を移すとも言ふ。舊社地附近は今に宮司の坪と称えてゐる。明治六年村社に列し、明治四十年三月十五日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神額 「田中神社」
手水舎
境 内
社 殿
拝 殿
写真撮影:2011年1月9日