◊由 緒◊
本社伝にては、延喜式神名帳に田方郡輕野神社とあり、伊豆國神階帳に正四位上狩野の明神とあるに相当すとなす。創建年月は不詳なれども、日本書紀「応神天皇冬10月科伊豆國」令造船、長十丈船既成之、試浮千海輕泛疾行如馳、故名「其船日枯野」とある。枯野は即ち軽野にて、こ神社は恐らくこの船木を伐り出したる際、祭れる神にやと思はる、古老の伝には祭神は三島神社と同神にて、祭日祭式等も該社の例と異ならずという。昔はただ明神とのみ称したるも、神威嚴然、社前を笠を冠りて通過すれば神罰を蒙るとて、いつとはなく笠離明神と云ひ習うた。伊豆志に笠卸明神は松ケ瀬村神田と云ふ所の石山に在す、旧社也云々と、天文21年の上梁文に「奉修造豆州狩野庄松ケ瀬村笠離大明神御賓殿 地頭狩野介、大旦那飯田中務尉泰長、代官小泉音春」とあり、特選神名帳にはこれ」を解して、これ疑なく輕野神社なるべく思はる、そはこの輕野は和名鈔狩野郷にて、今も狩野組と称し、20余村あるを遍ねく點検するに、当社許り旧社と思はるふはない。縣の注進状に未定とせられたれど松瀬村は古の狩野郷にして、今狩野組といひ、神階記に狩野の明神とあるを櫨(きょ)として式社と定めて可ならんと云ふ、竹村氏の式社考は田中村深澤神社に比当する。明治6年8月郷社に列し、明治19年5月1日輕野神社改称す。昭和10年11月14日神饌瞥帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社案内板
一の鳥居
二の鳥居
社 殿
本 殿
境内社
手水舎
燈 篭
軽野神社所有文化財の案内板
写真撮影:2020年6月8日