◊由 緒◊
特選神名帳に曰く、今按、式社考証に「豆志云、土肥明神元徳深明神と称す、古祠なれども祠典何れの命なるか未詳云々」とあるが如く、旧社なること云ふも更なるが、例の變伝に因て、旧称を失ひたるより不分明に成りたれど、村名の土肥は「豊御」の約なること疑なし、というに従ふ。されば土肥大明神は延喜式神名帳豊御玉命神社、伊豆國神階帳に従四位上とよみたま姫の明神と見えたれば、豊御玉姫命とも称え奉ったであらう。相殿若宮八幡は応神天皇にましまし建久6年5月土肥馬場崎に豪族富永氏に依りて相州鶴岡八幡の分簸を勘請して奉祀せるを後合併して今の社号に改めたという。本社は古くより郷土の中央鬱蒼たる森林を背景としたる山麓の一角に鎮座し社殿は南面す。明治6年9月村社に列し、同40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
鳥居と参道
入口の脇には樹齢千年と言われる平安の大楠
案内板
当神社の創立年代は極めて古く 既に延喜五年延喜式神名帳に伊豆国那賀郡豊御玉命の神社 更に伊豆国神階帳に従四位上とよみ玉命の明神とあり 云々
境 内
社 殿
神額には「鎮護社」
土肥静霊神社
馬場神社
社務所
手水舎
此の木の間をくぐると願いが叶うと言われている「木くぐり」
写真撮影:2020年5月25日