◊由 緒◊
本社の創建は不詳なれども、古来山木郷天満坂に鎮座した。明應年間北條長氏韮山城に在りて崇敬厚く、以後小田原北條氏の尊信を享けたが、天正18年7月北條氏没落後社頭漸く衰頽す、明治6年8月足柄縣に於て縣社に列した。同7年3月元瀧山村字天神山鎮座の天神社に遷祀し両社相殿とす、尚社地狭隘(きょうあい)且険岨(そけんそ)にして祭典不便なるにより、同13年11月元山木村字下向山の現地、無格社来之宮社境内へ御移転民有地の寄附ありて境域を拡張す。現境内即ちこれである。明治43年9月16日神饌幣帛料供進社指定杜となる。 相殿天神社の創建は不詳なれども治承4年8月17日源頼朝が山木判官平兼隆を討つ條に「兼隆の館の前天満坂の辺りに進みて矢石を発つ」と東鑑に見ゆれば、その以前既に当社御鎮座ありしこと察せらる、慶長17年2月2日代官江川英長自から菅公の像を描きて奉納するもの今尚存す。明治6年9月村社に列す、同13年11月皇大神社と同時にご縣社皇大神社に遷座した。(静岡懸神社志原文)
急な坂の途中に入口が 標柱「懸社 皇大神社」
奥の赤い屋根の建物が社殿
社 殿
本 殿
手水舎
社務所
神 橋
写真撮影:2020年5月11日