◊由 緒◊
明治18年の明神帳に依れば、本社は延喜式内田方郡二十四座の内石徳高神社なりとす今は分祀して二社となりその一は当社にて、その二は本郡韮山村寺家八幡神社である。古くは本村南江間なる雄徳山に鎮座せしを、中世西麓の珍野に遷祀し、(今その蹟大明神と称して小祠がある)後更に北麓丸山に遷す、この地も大明神と称する。後江間小四郎平義時の崇敬厚く、更に現地豆塚に移齋して豆塚大明神と称した。明神帳によれば大明神と書したる古額があり、文明4年と記した神器もあるやうである。しかしてこの江間郷(今は南北2村)北条村(今は寺家、中條、四日町の3村)はもと一郷にて、和名鈔に所謂依馬中なるを、狩野川の流、今の如く中間を流れるに至り、村里自から分れて総鎮守たる雄徳山の神を江間郷にては珍野に移し、北條にては寺家村字守山に遷し祀ったのであらう。明治6年9月郷社に列し、大正14年3月28日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口 標柱は「延喜式内 郷社石徳高神社」 神額は「豆塚神社」
境 内
社 殿
本 殿
写真撮影:2020年5月11日