◊由 緒◊
社伝によれば今相殿三島大神は式内石徳高神社にて往昔隣地江間村雄徳山に鎮座したるを遷祀す、時に大化3(未了)年4月と云ふ、今主神八幡大神は延喜7年3月豊前國宇佐宮より江間村雄徳山に勘請後当社に合祀せしより寺家八幡宮叉は総社八幡宮と称して頗る大社なりしと云ふ、源頼朝こ地に假往の時より信仰篤く、鎌倉開幕により社殿を造営し社領を寄附して末社16社、社人16人、社?16坊を置きて盛大を極めたという。然るに社領1町2段除は、天文22年小田原北條氏の為に没収せられて隣地の願成就院に附けらる。永禄3年北條氏康三分二を減じ以来田畑2町1段除を領した。徳川氏に至りて江川家酒米地として、また減地せらる、本社はもとこの地方の総社にて明治維新迄は四家の地頭より初穂米各一俵の奉納があった。後各村落毎に鎮守社を奉祀するに至り、当寺家区のみの産土神となるに至った。明治6年8月村社に列し、大正13年10月7日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口 社殿は約250段の階段の上に鎮座
鳥居横 源頼朝挙兵の碑
一段上には舞殿
社殿が見えてきました
写真撮影:2020年5月11日