◊由 緒◊
当社延喜神名帳所載の真草ノ神社なりと言ふ。元周智郡宇刈村馬箇谷に鎮座ありしを、其後現社地の西南天王山と言ふ地に遷座し、應永年間火災に罹りし際一時附近の尾崎の宮(現例祭に神幸ある村社六所神社)に遷り、次いで現社地に遷座し、今に至ると。今川氏親永正9年8月1日社領75石を寄附す。以後神領継続し、明治維新に至って上地を命ぜらる。明治6年3月郷社に列せられ、明治40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定せられた。境内は西北山を負ひ、中腹に社殿あり、敷十の石段を下ると東北より迂廻して来る清流は境内を東西に貫流し、之に古雅なる 欄干付木橋を架す、数百年を経たる古杉老柏全境内何千坪の天を蔽ひ、欝蒼として神嚴なる人をして粛然たらしめる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神号標 「(郷社)雨櫻神社」
鳥居(白木鳥居) 神額 「雨櫻神社」
手水舎
拝殿 と 本殿
拝 殿
社務所
写真撮影:2008年7月21日