◊由 緒◊
人皇42代文武天皇御宇、藤原鎌足の孫姫熊野三神を御信仰ましまし、丈武天皇の御后に備はらせ給ひて、熊野へ御誓有て、御懐妊御産安く、皇子御誕生ましまさば、東に三つの社を建て勧進なし参らすべしと御所願まします、御感應ありて御願望の如く御安産にて皇子御誕生まします。此皇子を聖武天皇と申し奉る。帝后叡感淺からず神慮奇瑞著しとて愈々御信心厚く御願成就の上は三の社を建て勧請あるべし、幸に遠江國は貢物納る鎮國なれば遠江國中に社を建て勧請あるべしとの勅諚にて則ち郡檢奥野左衛門是吉と云ふものを当國に下し造立の宮地を見立てしめ給ふ。是吉当所に下つて見分せしに南は大濱長濱の海面なり、北は山復山続き本宮の境内に異ならすとて当所を本宮の宮地と定め、三里東に当つて高松を新宮の社地に定め、次ぎに北に当つて小笠の嶽に奈智の宮地を定む、斯の如く三社の地を見立て萱を刈り太麻を立て是吉帰洛す、依て良日良辰を選み奥野院を熊野三山へ遣はされ勅幣を捧げられ御所りありて梛木を以て御案を調へ御正躰並に神子の御尊像及び五伴を齋り八重の注蓮縄を以て御船を飾り勅封の神輿を移し牟呂の舳綱を解き海上を御下りまします、干時大寶元年8月4日当所雨垂の洲崎に御著岸あり、翌5日酉の刻に御假殿へ移し奉る、此時当地初作の粟の飯を炊ぎ、御本殿幣殿拝殿鳥居に至るまで成就せしめ9月9日夜に正遷宮御鎮座す、神徳霊験にして此所の三社大明神と崇め奉る。天正9年横須賀城主大須賀社康高社領20石斗社中竹木諸役冤除の朱印を下し、崇敬深し、慶安元年2月24日徳川家光朱印20石を寄進せらる、明治6年3月郷社に列せられ、大正8年9月8日神饌幣帛料供進社に指定せられ、大正13年3月29日縣社に昇格した。(静岡懸神社志原文)
参道 春になると桜が咲き誇ります
三社祭礼囃しが静岡県の無形文化財指定の記念碑
社 殿
本 殿
社務所
手水舎
旧社殿の鬼瓦
写真撮影:2005年9月22日