◊由 緒◊
文武天皇の大寳2年紀州熊野三社を勧請し奉る。天皇の皇后熊野三社の御崇敬深く御懐妊の御時立願あり皇子誕生により即ち三社を造立す。当社は其の一である。曰く遠江國は貢物を納むる領國なれば遠江國内へ社を建て勧請あるべしと郡検奥野左衛門是吉を下向せしめて宮地を相す。即ち横須賀を本宮に、高松を新宮に、小笠嶽を那智と定帰洛、更に三山に勅幣を捧げ、梛木を以て御案を調へ、御正禮幣帛並補佐五伴肺を齋き八重注連榊を以て御舶を飾り封體の神輿を移し、牟呂の舳綱を解き海上を御下向、時に大賓元辛丑年8月4日当所雨垂の洲崎に着岸、翌5日假殿に奉安、社殿成就と共に二社は当年御遷宮、小笠山は不便の爲造作未だ畢らす依って翌年3月18日御遷座あり、当時笠原庄を神領に御寄進し社頭隆盛であったと伝ふ。元和元年横須賀城主西尾隠岐守、文化年中掛川城主太田摂津守祈願所と定められ崇敬篤く社頭叉繁榮す。大正8年10月15日郷社に列せられ、次いで神饌幣帛料供進指定社に定めらる。
当神社は人皇第42代文武天皇の御勅願により大宝2年3月18日(703年)紀州熊野三社を勧請した。その由来は藤原鎌足公の孫の宮子姫が御后になられたが御子なきを歎き遊ばされ紀州熊野社に詣で皇子誕生ましまさば東國に三宇の社を建てまさんと御祈願あらせられ無事皇子を誕生なされた 後の聖武天皇である 御祈願成就により公家奥野惟吉卿を東國に遣わし宮地を検分せしめられ横須賀を本宮の地、高松を新宮小笠嶽を那智の宮地小笠神社と定め御遷宮あらせられた。(静岡懸神社志原文)
神社入口 標高265m のところです。
一の鳥居(伊勢鳥居 ?)
鳥居から神社へ続く長い参道
次は階段です
もう一つ階段です 二の鳥居(靖国鳥居)
手水舎
社 殿
拝 殿
神額 「小笠神社」
本 殿
舞 殿
荷物運搬用の索道が引かれている
写真撮影:2008年7月21日