◊由 緒◊
本社は天正3年9月、舊徳山郷大元の開拓者林左衛門より23代目林左衛門太夫徳山郷徳山堀之内村の西北字上野山の中腹に小殿を造りて富士淺間大社を勧請して淺間明神と称し祭りしを明治維新の際、同山麓に在る御嶽神社の相殿に遷し淺間神社と改称した。故に本社は御嶽神社の相殿なりしを社格定の際明治8年3月淺間神社を郷社に列し、御嶽神社を村社に列して相殿とした。爾後共に神饌幣帛料供進社に指定された。叉徳山村堀之内は徳山神社が最初第一の氏神社にして、御嶽神社は第二の氏神社であった。(静岡懸神社志原文)
神社全景 鳥居 「明神鳥居」
境 内
手水舎
樹齢千年の 「鳥居スギ」
社 殿
鹿の面型の狛犬
拝 殿
神額 「御嶽神社・浅間神社・八幡神社」
写真撮影:2010年11月28日