◊由 緒◊
一條天皇御宇長徳元年3月朔日大和國より錦の袋に入りて飛来まします。依って里人大和大明神と称し、同3日祭禮を行ひ、同年9月6日新に山上に祠を建て、9日を例祭日と定めた。当時の入用永二貫文にて永一貫丈に木綿8反替に賣りて造営したるものなりと言ふ。山上に今宮跡と称して其名を残してゐる。永正14年7月27日中山民部入道生心当村領主となるに及び京都吉田殿より二宮の神号を請ひ是より社号を二宮大明神と改称したと言ひ、俗に中之郷村二之宮飛神と称す。遠江風土記伝に「飛神の御像は石なり、宝石なり、曲玉なり、此玉非時に飛散し、飛集す其色は五彩にして細穴あり」とあり、曲玉なり。今御神宝として崇め奉る。神領は豊臣秀吉の頃までは83石ありたりと言ふも、其後中絶し、徳川家光に至り朱印高4石5斗を寄せられ、以て明治に至る。明治6年3月5日郷社に列せられ、明治40年1月神饌幣帛料供進社に指定せらる。本社は和名鈔に言ふ濱名郡大神郷にありて、式内大神神社これなりと言はれ、遠江風土記傳、特撰神名牒、以下諸書亦大神神社と推定してゐる。(静岡懸神社志原文)
社号標 「式内 郷社 二宮神社」 と 境内に続く石段
神門と神額 「二宮神社」
境内 手前の狛犬は非常に大きなもの
手水舎
一番の狛犬
社殿
社務所
二番の狛犬
三番の狛犬
大正14年11月と読める
一番の狛犬を後から
写真撮影:2008年6月27日