◊由 緒◊
社傳には、延喜式神名帳那賀郡國柱命神社とあり、神階帳那賀郡従四位上國原姫の明神とあるに当つ、旧くは岩科宮と称し、後伊勢神明宮単に神明宮とも称へまつり天文11年再建、山ロ之内下屋敷に鎮座せしを近世今の地に遷す。明治18年6月18日延喜式によりて國柱命神社と復称した。社地に連って「いはしら」と云ふ地名あり、くにはしらの省約か、叉村称のいはしなももと同様の伝訛にやと思はる。嚢に仁科庄岩科郷と称した時代には、山口、指川、松尾、峰、八木山、野田、金澤の7ケ村及道部村の総鎮守にて郷社と称した。明治6年9月村社に列せらる。叉明治45年神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
境内から少し離れたところに立つ鳥居
参 道
境内はさらに上に
境 内
拝 殿
神額には 「國柱姫命」
拝殿と本殿
境内社
境内社 茂山神社
社務所
手水舎
写真撮影:2020年5月25日