◊由 緒◊
社伝には、本社は古く天地明神叉阿米都知神社とも称し、同村宇梅名鎮座右内神社と共に、三島大社左右御門の守護神として、下田往還を挾みて左右に相対して鎖座まします。旧社地は君澤郡中島村字園田であったが、明治19年2月火災に罹りて建物ことごと皆烏有に帰し、翌廿年4月現地に御造営中したのである。増訂豆州志稿に依れば、古く三島大神、上津島(今神津島)より伊豆半島御上陸の際、称生澤郷柿崎武山権現おり、左内、右内の両神迎謁し、先導して田方郡田京深澤に到り、更に現今の三嶋に遷御し給ふ、その時より両神は御門の守護として相対して鎮座すと。社伝にては本社こそ延喜式田方郡阿米都瀬気多知命神社なりとなす。(因に他の神社に比定する説もある)正徳五乙未年5月28日上梁文に左内之神社、文化14丁丑年3月上梁文に天地宮叉阿米都瀬神社と見ゆと云ふ。明治6年9月村社に列す。明治40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口 標柱には「延喜式内 村社左内神社」
手水舎
境 内
社 殿
本 殿
狛 犬
なぜか 戦争の時の武器が
写真撮影:2020年4月30日