◊由 緒◊
この地に御鎮座の時代は明かでないが、古くより朝延の御崇敬、武將の尊崇の至れるは、古史に顯著なる所である。延喜式に伊豆國賀茂郡、伊豆三嶋神社(名~大)とありて、全国の名~祭285座の中に列し、又奠(てん)幣案上祭304座の内に加はり給ふ。叉同書に、伊豆國正税公廨(かい)云々三島神料2000束とあり、新抄格勅符抄諸國神社の封戸を記されたる中に、伊豆國三島神13戸天平賓宇2年10月2日9戸、同12月4戸と見ゆ。(中略) 斯く年々幕府より、奉幣或は神馬神劒を献し、或は小笠懸、神樂、放生會、流鏑馬等を行ひ、又神領を寄すること、治承四年以貳拾数回旧記古文書等に散見す、叉源頼朝の夫人平政子櫛笥の寄付、頼家自写の般若心経の奉納、降っては北條早雲の指刀奉納同氏綱の造営・同氏政の祈願、上杉氏の大刀奉納等最も顕著なるものである。徳川幕府に至り、社領330石に定められ、慶長9年12月社領高200石加増、合せて530石の朱印、並に伝馬定書の朱印を賜ひ、三代將軍家光より寛永11年戌年、太刀二振、並青銅立灯籠一基寄付有り、四代將家綱より、社地警護の士6人を附け置かるる等、尊崇は厚かった。(中略) 叉近年に於ける当社の最も光榮とせるところは、即ち明治元年戊辰10月7日、車駕御東幸三島宿行在の当日、御代拝として神紙権判事植松少將参進、金幣奉納、即夜内侍所は当社殿内へ御駐蹕(ひつ)あらせらる、同年12月2日当社大麻献上、則ち東京神祇官へ相納む、同年12月10日御還幸に付再び御駐蹕を辱うす、明治2年3月25日再度御束幸の節にも、内侍所の奉安所に仰出され、3度目の御駐蹕を拝す。明治4年辛未5月官幣大社仰出さる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
両側に桜の木が続く参道
いろいろといわれのある「たたり石」
神 橋
「神池」と 「厳島神社」
厳島神社
昭和6年に竣工した「総 門」
本 殿
社務所
宝物館
芸能殿
手水舎
神 門
神馬舎
「舞殿」は令和の大改修中
見目神社
若宮神社
天然記念物 「三嶋大社の金木犀」
写真撮影:2020年4月30日