◊由 緒◊
延喜式神名帳那賀郡佐波神社二座とあり。神階帳の那賀郡従四位しての明神、同にゐの明神に相当する。佐波は地名にて澤なり、豆州志に本社天正の上梁文を引証して本郷澤田海涯なるを以て濱村の名あり、昔こ辺総べて佐波と云ひしが仁科と改称すと。本社創建年代詳かならず、特選神名帳には「神功皇后三韓を征し給う時始めてこ地に祀るとあり、大永中の棟札に、仁科庄本郷総社八幡は今に仁科五村の総鎮守也、五百年迄は海涯にありしが海溢れて今の地に止る、依て三島明神と祠を並べ立つと伝う。叉、三島明神は同村の地主神也云々」と。叉当國田方の住人伊藤?綱入道の伝書を案ずるに、上古崇神天皇17年庚子の歳船をこの地に造らせ玉ふ。今の澤田の地これなるべしと、叉今の安城山は行在所の旧跡なるべしと、これ等悠遠の事蹟は今その真否を詳にせす、叉本社は屡々濤災にか入りて旧記賓物等流失し徴証すべきものがない、南豆神祇誌に拠れば唯造営の棟札は大永2年、天文5年、永緑9年、天正17年、慶長10年、同14年等以下14枚を蔵し、一方八幡宮にも大永7年、天文12年、永緑5年、天正9年、慶長2年、同14年等を蔵する。二座は始めは全く別社にて神主のみ須田氏が兼ねて居たが、天文より八幡は山本氏となり、やがて社?も出来たるを、後丈政6年宮内村神主上之宮金刺伊賀守茂濟が社僧威賓院と2枚の棟札を納めてここに両社を合一した。明治6年8月郷杜に列し、大正4年11月9日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
案内板
参 道
神 橋
鳥 居
境 内
社 殿
本 殿
狛 犬
境内社
手水舎
写真撮影:2020年5月25日