◊由 緒◊
社伝に関白内大臣藤原師通夫人源氏の立願により近江國滋賀郡日吉神社を分祀せられしという。元和元年4月火災に罹り、後再建し山王宮と称せしを明治元年現社名に改めた。鎮座の地駿河國大岡庄車返里は当時関白家の領地であった。されば当社の祭祀造営等は藤原氏一族にて為されしものにて社寶縁起絵巻によりて明かである。天文年間駿河國守今川氏輝舊規に櫨り駿河國大岡庄日吉村に於て神領8町8反の地を寄進し、今川義元社殿造営の事あり。又足利氏も伊豆に在る時篤く当社を崇敬して神馬を奉献した。慶長9年徳川氏朱印高50石を寄せ、家光の時に地を小泉庄柿田村に移し、外に除地1反5畝9歩を寄進した。また松平康重三枚橋城を守るに方り社殿を造営し御輿を奉献し大久保忠佐城主となるや、社殿を修造し、助宗作の鎗十本を寄進した。次いで沼津城主水野氏は其の産土神たるを以て特に崇敬して幣帛を献じ、更に毎歳首重臣を代拝せしむるを例とした。その他諸侯の崇曾篤く?々寄進があった。明治6年3月縣社に列し、昭和2年2月10日神饌幣帛料供進社に指定せらる。(静岡懸神社志原文)
神社入口
一の鳥居(明神鳥居) 神号標 「山王宮 日枝神社」
二の鳥居
境 内
社 殿
拝 殿
神額 「日枝神社」
奥は本殿
社務所
手水舎
境内社 日枝天満宮
境内社 高尾山穂見神社
写真撮影:2010年11月20日