◊由 緒◊
本社は古来富士山東口本宮である。延暦21年正月富士山東麓噴火し、日を経るも鎮火せす里人日夜恐怖した。國司郡司これを憐み鎮火祈請の為め富士山東麓須走に齋場を設けて祭事を執行した。この地が現在の社地である。同年4月初中の日に至り初めて鎮火したるを以て神威を畏(かしこ)み報寶のため社殿を創立し、毎年4月初中の日を以て祭日と定めた。両来本社修覆造営は代々國司郡司の掌るところであった。武田氏も篤く本社を崇敬して天正年度に社殿を修造し神領を寄進した。叉中村一氏も奉行せし事あり、寛文年代小田原城主称葉美濃守轉(てん)封後は大久保氏之を勤むることとなった。寶永4年寶永山噴火し、降砂一丈余りに及び本郡領は上地して幕府直轄となった。次で社地の降砂掃除、社殿復旧を本郡領に命じたが、被害甚大にして復旧容易ならず、仍(よ)りて江戸府内に於て勧財募集を請ひ、享保3年に至り社殿ことごとく修造を竣った。これれ則ち現社殿である。その後寶暦年間再び大久保領となり、旧例に依り修繕及び用材寄進ありて明治維新に及んだ。明治7年1月郷社に、同19年1月7日縣社に列し,同40年4月12日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
表参道
表参道大鳥居 神額「不二山」
裏参道
裏参道大鳥居
楼 門
社 殿
本 殿
表参道手水舎
裏参道手水舎
楼門前狛犬
末社前狛犬
神馬舎
御神輿格納庫
境内社
末 社
天然記念物の「はるにれ」樹林
参拝当日の富士山
写真撮影:2020年3月16日