◊由 緒◊
創立不詳、延喜式神名帳所載の駿河國庵原郡久佐奈岐神社は是である。総國風土記に草奈岐神社稚足彦天皇元年辛未始祭之奉官幣と見ゆ、神階帳には正四位下草奈岐明神坐庵原郡とあり、異本類聚國史に清和天皇貞観元年 己卯正月26日駿河國伊原郡久佐奈岐神社授從二位と見え、駿河國式社略記に所載延喜式神名帳東海濱道駿河國二十二社(大1座、小12座)庵原郡三座小、久佐奈岐神社云々と見え、祭る所の神は社傳に倭建命及御供侍諸神等齋奉九萬八千社云、日本書紀巻第7に、天皇則命吉備武彦與大伴武日蓮令従日本武尊亦以七掬脛爲膳夫云々、有從王之妾日弟橘姫、穗積氏忍山宿彌女也と見え、倭建命從奉人々此四柱外御名傳甚多故九萬八千統称、古事記には吉備臣等之祖御?友耳建日子后弟橘比賣命久米直之祖七拳脛、此の三柱の名は見えたれど大伴武日蓮の名は見えず、扨て此地も東夷御征伐の御時行宮を作らせ給ひし御??蹟なるべし。尭行富士紀行にたかはし(今も阿倍乃市より東草奈岐へ北街道と云を行けば高橋村を通るなり)などすぎて廣き野山ここや彼方草薙の神劒麗瑞をあらはし侍しあたりならむと、いとかしこくぞおぼえ侍る。此所に草薙の御社九萬八千の御社など申て昔々神々進発の御陣の跡に社多をはし坐云々、など記したれば其神も倭建命の行宮の御跡なるべしといふ。??余地高2石5斗2升にして、明治6年3月郷社に列し、同40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口
一の鳥居(明神鳥居)
参 道
二の鳥居
手水舎
拝 殿
本殿
境内社
写真撮影:2010年10月7日