◊由 緒◊
本社は延喜式所載の駿河國庵原郡御穂神社である。類聚國史云、蕣河國庵原郡美髴神社二座大己貴命美髪津比賣命。叉云、文徳天皇仁壽元年辛未5月4日薦河國伊穗原郡美髴神社授從三位とあり。三代寶録云、清和天皇貞観6年12月21日授駿河國從五位下御盧神從五位上、陽成天皇元慶2年4月5日授駿河國從五位上御盧神正五位下とあり。叉日本総國風土記云、御穗社所祭大己貴命叉號御穂津彦、御穣津比当ス也、日本武尊奉勅供官幣、圭田五百畝、爲國之三宮、所謂瀬織戸邑、箭部村、興津郷盧崎保也。とある。往古は同村字天神森に鎮座し社殿の規模宏壮なりしならんも大永2年10月細川弾正忠孝範の兵火に罹りて社殿悉く焼失した。豊臣家以降世々武將の崇敬深く、徳川家康の駿府に在るや、慶長年間本殿、幣殿、拝殿、廻廊等を新築し輪奐の美を極めたが、寛丈8年火を失して悉く灰燼に帰し、一時假殿を建てて神霊を奉安した。その後改修したが遂に往時の盛観に復するに至らなかった。尚舊朱印高106石、除地高271石4斗1升5合を有した。明治6年3月郷社に、同31年9月24日懸社に列し、同40年3月15日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口 鳥居(明神鳥居)
ここで振り返ると、松原に続く松並木が見られます。
境 内
手水舎
拝 殿
神額 「御穂神社」
境内社 右は神馬
舞 殿
社務所
北側入口 神号標 「懸社 御穂神社」
写真撮影:2010年1月30日