◊由 緒◊
創建は和銅年中にして弘長年度に再建した。慶長12年藝州淺野甲斐守の?備後國三原城主淺野右近尉忠吉深く當社を尊敬し、社殿を修造すること再三に及んだ。また徳川家康駿府在城の時は當社の鳥牛王を献じた。尚當社より蝮蛇除の符を出すことは古くよりの行事であった。天明年中京都に大火あって禁裏炎上し聖護院を以て行宮となされた時、聖護院は東山の麓なれば御庭に蛇の出つることあり、禁裏の武家當杜の符のことを奏上せしに、その符を奉るべき由命ぜられ、禁裏、仙洞へ神符を奉りしに爾來蛇出です、禁裏仙洞より各白銀を下し賜つた、舊除地高三石五斗にして、後村内の三島神社、白髭神社を合祀した。明治8年2月18日郷社に列し、大正13年3月8日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口
神号標 「熊野神社」
手水舎
御神木
社 殿
拝 殿
本 殿
社務所
境内社
写真撮影:2010年9月10日