◊由 緒◊
創建年月不詳なるも延喜式神名帳所載の駿河國安倍郡小梳神杜は本社である。古く祭神は健速須佐之男命奇稻田姫命二柱にして、俗に少將井社と称してゐる。蓋し少將井社と称へしは京都八坂神社第三殿に奇稻田姫命を祀れるが當社も亦同神を祭るからであらう。徳川家康慶長12年3月駿府城を修むるや、當時本社は其の廓内に在り、家康篤く之を尊崇藁し、幼時より崇敬せし大己貴命、天照皇大神を相殿に分祀した。當社所蔵林道春配棟札の銘にあり、又駿河風土記に「小梳後號東川邊、東川邊は當城の舊地にして慶長日記に當城を河邊に移されるとあれば當時より城中に在りて守藷神と崇められしなるべし」「小梳神社公穀260束、假粟120丸、小梳神社所載とあり。寛永8年新谷町に遷して假宮を造営、後延賓3年今の紺屋町元加番の明屋敷に社字を営みて益々駿府城のの守護神と崇めらるるに至った。當時造営の事を司りしは城代松平左近太夫を首め、城番、番頭、一加番、二加番、三加番、目附、町奉行等にして本社、拝殿共に落成し、翌年6月より御輿渡御の神事が始つた。降りて明治年間本杜拝殿其他再度炎上、其の都度造営した。最近の改築は昭和7年2月なりしも、同15年1月15日の大火に又炎上した。是より先明治40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定され、同年7月10日縣社に列してゐる。(静岡懸神社志原文)
神社入口 鳥居(明神鳥居) 神号標 「式内 懸社 小梳神社」
境 内
社 殿
社務所
境内社
祭器庫
手水舎
写真撮影:2005年6月19日