神社名 | 静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ) | |
鎮座地 | 静岡市宮ヶ崎町102-1 | |
御祭神 | 大己貴命(神部神社) 木之花咲耶姫命(浅間神社) 大歳御祖命(大歳御祖神社) |
|
例大祭 | 3月3日 |
神部神社は崇神天皇の御代の御鎮座と謂はれ、中世以降駿河国の総社と称せられ、浅間神社は富士新宮と称へ醍醐天皇の延喜年中富士本宮より勧請すと傳えられている。大歳御祖神社は應神天皇の御代の御鎮座と謂われ、奈古屋大明神と称へ、神部神社と共に延喜式所載の所謂式内神社である。三神社を通じ古來朝野の崇敬を鍾め、鎌倉時代以降は國守、武将の崇敬更に重きを加え、徳川家康入府以来歴代将軍は頗るこれを尊敬し、この頃から三神社を総称して駿府浅間社と称せらるるに至ったのである。就中三代将軍家光は寛永年間に16萬5000両の巨費を以て、日光東照宮と並称せる壮麗無比なる大社殿を造営せられた。此の宏壮なる社殿は安永、天明の相次ぐ大火に全焼したので、11代将軍家斉は文化元年これに劣らぬ大社殿造営に着手し、逐次各社を修築して慶応3年までに完成せられ、更にまた?領の寄進等もあった。明治21年5月1日三神社は各別に国幣小社に列格した。是より先同11年11月明治天皇御東幸の砌御参拝の御沙汰があったが、御都合によりて御取り止めになり岩倉大臣を御差遺御代拝あらせ給うた。爾來皇族殿下貴顯の御参拝?次あり、近くは承和5年5月 畏くも今上陛下御参拝あらせ給うた。尚ほ昭和4年着手した大修繕も同11年に竣工し11月三神社共に本殿遷座祭を執行した。
大歳御祖神社入口
大歳御祖神社 楼門
大歳御祖神社 拝殿
浅間神社末社 八千戈神社
御神水井戸
神部神社、浅間神社楼門 神額 「當國總社・冨士新宮」
舞 殿
大拝殿
手水舎
神部神社の末社 少彦名神社
写真撮影:2006年7月7日 |