◊由 緒◊
延喜式神名帳所載の駿河國安倍郡建穗神社は當社である。土人馬鳴大明神と称す。元浅間神社々?建穗寺中にあったのを明治維新後同寺?學つて復飭し、復び神地となつた。本社は類聚國史には清和天皇貞観元年乙卯正月駿河國安倍郡健穗馬鳴神社授正五位下、又聖武天皇乙亥9月右大臣藤原武智?私田5町寄駿河國安倍郡建穂寺馬鳴大明神御帳田とあり、神社考には源寶朝當社の託宣を受け劒を奉るとあり、東鑑に土御門院承元4年馬鳴神託宣のことあり、風土記第55巷(薦河安倍郡中)に建穗神社所祭天照大紳也、日本武尊之所祭也とあり、叉社傳に徳川幕府以來祭事に舞樂を奏せり、將た毎年2月淺間神社廿日會祭に七使半の迎により稚児4名、引戸の駕に乗り淺間神社稚児殿に到り舞樂を奏し、其の舞楽に用ひたる花笠を將軍家に迭られたる例ありとある。明治6年郷社に列した。(静岡懸神社志原文)
神社入口
社 殿
拝 殿
神額 建穂神社
本 殿
写真撮影:2010年9月10日