◊由 緒◊
鎭座地久能山は推古天皇の朝、秦河勝の二男久能忠仁が久能寺を開創した所である。永禄11年12月武 田信玄之を領するや、其の要害の地なるを相して寺を近郷に移し、城廓を構へて久能城と称し、徳川氏に及んだ。元和2年4月17日家康の駿府城に薨ずるや、遺命に依り當山に葬り假殿を造営し、同19日夜神龍院梵舜齋主となり、神道の式により葬儀を執行した。爾後榊原大内記照久神主となって奉仕した。績いて城廓を廃し、元和2年5月2代將軍の命に依り社殿を造築し、翌3年12月落成、正遷宮式を執行して東照社と言ひ、後正保2年11月3日宮號の宜下あり爾來東照宮と称した。降りて明治6年2月18日縣社に、同21年5月1日別格官幣社に列した。(静岡懸神社志原文)
海岸側 神社入口
一の鳥居(明神鳥居) 神号標 「別格官幣社東照宮」 頂上まで長い階段が続く
眼下には太平洋が広がる
一の門
山本勘介が掘ったといわれる 「勘介井戸」
楼門 神額 「東照大権現」
階段の上は 「唐門」
社 殿
金の成る木
日枝神社(重要文化財)
写真撮影:2007年1月5日